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「主語がない」

今日の午前中の講義は、「廃棄物減量」の授業でした。
当校を主催しているNPO、ビルトグリーンジャパンの荒井理事長によるものです。

理事長は講義の中で 仕事に取り組む際の心がけなどについてのお話などもしてくださるのですが、今日キーワードとして語られたのは、「主語がない」ということでした。

・・・「主語がない」とは?








     主語がないについての講義 


 たとえば愛の告白のシーン というのを思い浮かべるとき、英語では(相手の目を見て)”I love you.”と言う、これにはちゃんと主語(私)がある。これが日本人の場合は(相手に背を向けながら)「好きです。」とつぶやく。この言葉「好きです」には主語がない。誰が、誰(何)を好きなのか?はっきりとは分からないのである。
 日本人のものを考える時の仕組みというものを考えるとき、この「主語がない」ということが案外ポイントになる。主語を言わないことで、いかようにももっていける、という文化なのだ。

 日本語の、自分をどう呼ぶか(私、僕、オレ)相手をどう呼ぶか(あなた、おまえ)には、人間同士の力関係が明確に表れてしまう。あえて主語を言わないことでその圧力を表面化させない、それが日本人のやり方なのである。調和がうまくいかない時に責任の所在を問わず「もののあはれ」に通ずるある種の諦観のような心境をもって物事に臨む。それが二千年来の日本人の態度になっている。

だが人が責任をもって何かをやるときには「主語」が必要である。「私は」と主語を付けて語ることは自分はその場所に身を置くという意思表示になる。信頼に足るのは主語のある言葉を用いて話す人物である。
 


☆☆☆


「主語がない」というお話・・・。 

 私たちも普段の会話で案外主語を省いた物言いをしていますね。
人の言ったことに対して、「マジ?」「かもね」「あるある」「アリエナイ!」などと。
 広島の平和記念公園の石碑の文章にも主語がないそうです。
自分がどんな行動の主語になっていくのか、お弁当を食べながらちょっと考えてしまいました。

 私見ですが、日本人には「察する」という感情文化があるような気がします。主語のないことばを埋めてきたのは日本人らしい「語られていないことを察する」という能力なのかもしれません。でも、この「察する」にはやはり主語がありません。察した内容への「責任の所在」は不明なのです。プライベートはともかく、この震災後の大変な時代に仕事で人と人が関わるには、主語のある言語が必要かもしれませんね。 (ちなみに告白シーンですが、私の場合も言葉に主語はありませんでした。日本人らしくその後を「いかようにももっていける」プロポーズだったのでしょうか? 主語のある(=信頼に足る)告白を一度はされてみたいものです。)



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*日本の皆さん、主語がない場合はこのくらいわかりやすく決意表明しましょう








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